Spinal muscular atrophy Caregiver

ひさむさん

起業家/社長

 

SMAを抱えながら、起業家として生きる

仙務(ひさむ)さん、26歳。生後10か月でSMAと診断。
男3人兄弟の末っ子。
現在、株式会社仙拓の代表取締役社長。Ⅱ型SMA。

厳しかった就職への道

ひさむさん名古屋の養護学校を卒業後、就職しようにも障がいが重く、受け入れてくれる会社がなかなかありませんでした。進路指導の先生が就職のお世話をしてくださったのですが、自分自身でご飯が食べられる、トイレへ行けるという状態であれば、話を聞いてもらえるのですが、私はそれすらできません。障がい者でもコンピュータを使って仕事ができる職場が名古屋にあったのですが、自分以上の重度の障がいを持つ人はいませんでしたし、環境が合わないと感じて、やめました。しかし、そうするといよいよ働く場所がありませんでしたね。

母の一言で会社設立へ

幼少期は年に4~5回も入院していて、ほとんど病院で過ごしていました。当時はゲームもそれほどなく、やることがない状態で、母が図書室で借りた本を何冊もずっと読んでくれました。その経験がその後の『寝たきりだけど社長やってます―十九歳で社長になった重度障がい者の物語(彩図社)』などの執筆活動につながっているのかなと思います。

養護学校時代に母はいつも「うちの子はそこらの普通の高校生と同じですよ」と 言っていました。当時は会社をやろうと思っていても、周りからは、できるはず がない、障がい者が会社を立ち上げて社長をやるなんてとんでもないと思われていたのですが、母の「そこらの普通の高校生と同じですよ」の 言葉が会社を立ち上げる後押しをしてくれました。ちょうど19歳のときです。

自分に何ができるかを知ろう

株式会社仙拓はホームページや名刺の制作を請け負う会社で、営業活動は主にSNSやブログへの仕事の活動状況のアップや、メディアに情報提供し、条件が合えば取材を受けるという形で行っていて、特にそれ以外の営業活動は行っていません。メディアに露出したときには、電話やメールによる雇用希望の問い合わせがかなりありました。しかし私の採用基準は、まずその方が自分に何ができるかをわかっていることです。障がいを持ったメンバーの会社というイメージがあり、障がい者なので雇ってくださいということがありますが、あくまで自分にはこういうことができる、というアプローチが特に障がい者には最も大切なのです。

労働と将来の夢

SMAの人は脳に特に障がいがあるわけではなく、子どものころから頭の中でやりたいことがあっても、体が動かない中で過ごしてきています。しかし私の両親は、あなたは障がい者ですよという扱いはしませんでしたね。できないではなく、どうすればできるかを考えて生活するという考え方を教えられました。自分の周りにも働いていない人はおらず、障がいを持っているから働かないということは少しも考えたことはありませんね。

働くことに対する考え方には答えがなく、年を重ねるごとに意味合いが変わります。私の場合は、最初はほしいものを買うことがきっかけでしたが、会社を立ち上げ、7年経ったいまは、会社の売り上げを伸ばし、仲間を増やしてもっと大きな仕事をすることに変わってきていますね。今後は会社を上場させるという大きな夢があります。また、大学で授業を持ち、交流を広げ、大学と一緒に障がい者支援サークルを立ち上げるなど、やりたい夢がどんどん広がってきています。そのため通信制大学に通い、休日もMBA取得を目指してレポート作成をしたりと、忙しい毎日を送っています。

SMAに関する研究への期待

現在ではSMAに関する研究が進んできています。SMAの患者にとって一番幸せなことは、何と言っても病気がよくなったり、治ったりすることです。いろんな難病患者がその恩恵を受けて、できるだけ不自由のない生活を送れる世界がくることは、障がい者にとってもその家族にとっても最も望まれることですね。

若い世代のSMAや障がいを持つ人たちへ

いまは30年、40年前とは違います。社会制度や福祉サービスなどいろいろなものが便利になってきています。障がいを持った方でも将来があるし、働くこともできます。だから、これからの時代はむしろ楽しみにしてもらいたいですね、これからの時代は絶対楽しいよと。

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