患者さん・ご家族のお話を読む、視聴する

脊髄性筋萎縮症(SMA)の方やそのご家族のお話を紹介します

患者さん・ご家族

いつかは歩ける。諦めないでいたら

SMAと診断され、車いすで生活する彩夏さん。10年後に立つことを目標に、親子でリハビリテーションに取り組んでいます。車いすは目立つけれど、「自分でできることは自分でやってみたい。特別扱いはしないでほしい」と話します。(詳細はビデオで)

何でもできるかも。分身ロボットとの出会い

「将来どうしよう、できることはあるだろうか」と不安を感じていたふみさん。分身ロボットOriHimeと出会い、一変しました。
OriHimeを使い、最もできない仕事と思っていた接客業ができたことから、「何でもできるかも」という希望に変わりました。(詳細はビデオで)

世界中どこでもいける。分身ロボットとの出会い

「遠くへ旅行に行くことは無理だと思っていた」と移動することをあきらめていた寧音さん。分身ロボットOriHimeと出会い、一変しました。
OriHimeを使えば、旅先でまるでそこにいるかのように現地の人と触れ合えました。今では、「世界中どこでも行けるのではないか」そんな希望に変わりました。(詳細はビデオで)

SMAが自分の根本を作ってくれた

高校生の時から車いすに。最初は車いすが嫌いだった木明さん。今では、車いすは目立つと気が付き、車いすであることを武器に行政書士として働いています。「SMAだからこそできることがある、SMAが自分の根本を作ってくれた」と語ってくれました。(詳細はビデオで)

何もできなくなる病気ではない

中学生の頃から「普通に授業を受けるのが難しいな」と思い、将来について、考えるようになった腹黒兎さん。「SMAは何もできなくなる病気ではない。子どもの頃から好きだった絵を描くことは、今の自分にもできること」と語ってくれました。(詳細はビデオで)

車いすでも、着やすい服が作りたい

小さい頃から服が好きで、物心ついた時には「車いすだと着にくいなあ」「こういう服が作れたらいいのに」と思っていた樋口さん。
車いすの交流会で、車いすのファッションショーを見たときに嬉しくなり、車いすのモデルやファッションデザイナーの道へ。(詳細はビデオで)

待たないで。今すぐに行動しよう

13歳のとき身体に違和感をもったというサミュエルさん。自分は閉鎖的でなかなか言えなかったけれど、「何かおかしいかもしれない」と周囲に伝えてほしいと話します。「話すのを怖がらないで。君の持つ悩みの答えがあるかもしれない、力になってくれる人がそこにいます」(詳細はビデオで)

専門医の受診をためらわないで

かかりつけ医は成長期で腱が筋肉を引っ張っていて、筋肉が萎縮しているのだと言いましたが、私はそんなはずはないと言いました。私がこの病気のことを知っていたら、もっと何度もドクターのところへ行っていたでしょう。親が、子供の機能低下に気づいたときには、何か対応すべきだと思います。待っていてはいけません。(詳細はビデオで)

自分の気持ちにまっすぐ生きることが、恩返し

Ⅱ型SMAと診断されますが、普通高校に進学。大学受験を目前とした時期に、母親を亡くし同時に介護者も失います。その後、社会に役立つことをと、地元の福岡で総合福祉企業を設立し経営します。「生きていることに感謝し、自分や周囲を大切に。障がいがあってもなくても」(詳細はビデオで)

人生の幅を広げるために、何を選ぶかは自分自身

20歳の時にⅢ型SMAと診断され、その後は患者団体の本部長や、NPO法人の代表理事など務めるなど、国内外で活躍する竹田さん。58歳で治療を決断しますが、側弯のために難しいと言われます。「治療を受ける、受けないは患者が決めること。まず選択肢を示してほしい」竹田さんの病気との向き合い方やメッセージには、その先に続く未来への希望や強い思いがあります。(詳細はビデオで)

面白おかしく生きていきたい

SMAスーツを着て生まれてきただけで、SMAは私にとってあたりまえのこと。自ら立ち上げた「ぐるりの輪」を広げ、一度きりの人生、面白おかしく生きていきたい。(詳細はビデオで)

置かれた状況でベストを尽くす

アスリートとして結果を残すことが、自分が生きる上で人生の誇りです。置かれた状況でベストを尽くすことを心がけ、電動車いすサッカーでは世界大会で活躍。現在はボッチャ競技で新たなる世界に挑戦しています。(詳細はビデオで)

笑顔の嫌いな親はいない

じゅなの異変に気付いたのは、生後数週間です。胎動がとても強い子で、生まれてすぐは手足があがっていましたが、ふと気付くと生後数週間で手足がだらんとしていました。

どっこい40年も生きてるよ

生まれたときからSMAを持っているので、健常者になりたいですか、と聞かれることに違和感があります。それは自分にとっては、あなたは馬になりたいですかと聞かれるのと同じことです。

常にチャレンジ精神で

幼少期から、父母の基本スタンスとして、「自立/自律」しろと言われていて、それは体の障がいといった物理的な意味合いだけではなく、自分だけの生き方を見つけろということでした。

SMAを抱えながら、起業家として生きる

名古屋の養護学校を卒業後、就職しようにも障がいが重く、受け入れてくれる会社がなかなかありませんでした。進路指導の先生が就職のお世話をしてくださったのですが、自分自身でご飯が食べられる、トイレへ行けるという状態であれば、話を聞いてもらえるのですが、私はそれすらできません。

SMAとともに生きる

娘のRubyが生まれたとき、私たちはみなさんと同じように、この世に誕生した娘にたくさんの夢を抱きました。これから娘は世界を体験し、愛するものを見つけ、いろいろなことを学んでゆくのだと思いました。ところが、SMAの診断が下されました。

外泊を成功させるための準備

SMAのある子どもが外泊するときには考えなければいけないことがたくさんあります。特に、社交的で友だちがたくさんいる娘のAngieが楽しく快適に過ごせるようにと願っているので、いろんなことを想定して準備をしています。

医療従事者

医学的知識の進歩とケア

呼吸器専門医の観点からすると、SMAは非常に興味深い疾患です。私は生理学を理解して、患者さんの生活が、より快適になるようケアを行っています。