やらずに後悔したくない!「OriHime」を通して“自分だからできること”を増やしていきたい |
1歳4カ月で脊髄性筋萎縮症(SMA)の確定診断を受ける。現在はオリィ研究所の分身ロボット「OriHime」のパイロットとして、全国6カ所のカフェやイベント会場などで接客の仕事に従事。チャームポイントは関西弁の明るく気さくなトーク術! 将来は病気の子どもたちの話し相手として寄り添う仕事をしたいと胸に秘めている。
これまでの人生で今でも鮮明に覚えている出来事の一つが、小学6年生の時に受けた背骨の側弯を止めるための脊椎固定手術です。「このまんまやと死んじゃうよ」――医師から言われたこの言葉は、小6の私にとってものすごく怖くて、手術前後の2カ月間、何をしていてもその言葉が頭から離れず、誰にも相談できず、夜な夜な一人で泣いていました。
そんな辛い入院生活中、心の支えにしていたのは大好きなエンタメでした。好きなアーティストのパフォーマンスやお笑い芸人のネタに元気と勇気をもらい、それは今なお“推し活”として継続中! 好きが高じて、大学新卒時の就職活動ではテレビや芸能関係などエンタメ業界を可能な限り受けました。
結果的にそれらはすべて落ちてしまい、そこからは「やりたい仕事より、できる仕事を受けてみよう」と方向転換。障がい者向けの合同就職説明会に赴き、事務系の仕事などにも応募してみたのですが、うまくいかず……。そんな時、SNSでオリィ研究所が分身ロボット「OriHime」パイロット(操縦士)を募集しているのを知ったんです。
オリィ研究所や「OriHime」の存在はもともとテレビを見て知っていて、「こんな働き方もあるのか〜」と気に留めていました。実際にパイロットに応募する時、すごく緊張したのを覚えています。就活が全然うまくいかず落ち込んでいたのですが、深夜のテンションで勇気を出して、えい!っとメールを送りました。
最初の仕事は分身ロボットカフェのイベントでの接客。初仕事というだけで緊張しているのに、いざ「OriHime」に乗り込んでみたら、目の前にテレビ局のアナウンサーやカメラマンの方々が! 取材での来店だったようで、終始緊張しっぱなしでした。ただ、初日にそんな経験をしたおかげで、以降の接客はもはや怖いものなしです(笑)!
今はオリィ研究所のカフェDAWNのほかに、モスバーガー、大阪・関西万博、和歌山のアドベンチャーワールドなど、全国5カ所で接客の仕事をしています。なかでも関西での仕事は、親近感を持ってもらえるように普段使っている関西弁で話すようにしています。ある時、初対面のお客さまに「めっちゃ疲れてたんやけど、まやちゃんと話せて元気が出たわ〜ありがとう!」とおっしゃってもらったことがあり、それはとてもうれしかったですね。
今は体調が安定していて、毎日楽しく仕事ができています。ただ、コロナ禍以降、徐々に体力が落ちているのを実感していて、もともと字を書くことが好きで書道の師範免許も持っているのですが、最近は書けていないことが残念ですね。
それでも、「OriHime」に乗っている時は手も首も自由に動いて、「できないことなんてない、私って無敵だ!」と思えるんです。やらずに後悔するよりやってみて後悔する方がいいよねと、おまじないのように自分に言い聞かせながら、できるだけいろんなことに挑戦し、体験してみたいと思っています。
いつか叶えたいのは、「OriHime」を通して入院中の子どもたちの話し相手になること。自分自身が入院中に怖くて心細かった経験から、そんな気持ちをやわらげる手助けができたらと考えています。
……あとは、大好きな推しがたくさんいる韓国で仕事をすること! 趣味で韓国語を勉強し始めたので、それを生かした接客もぜひやってみたいですね。
▼次回予告
次回、第4弾は「熱しやすく、さめにくい」性格でデジタルの道を邁進するだいちさんのインタビューをお届けします!
生後間もなくI型SMAと診断された歌子さん。
わずかに動くようになった足先でスイッチを操作して機械を操ります。
高校卒業後、企業に就職し、自らタブレットを動かして仕事をしています。
「病気があっても自分らしく生きることを当たり前に願う」歌子さん。
お出かけが好きでさまざまなところに出かけ、
リモートスポーツ大会でOriHimeサッカーにも参加。
お父さんと一緒に演奏にも挑みます。
やりたいことがどんどん増えていきます。
ふふふっと朗らかに笑いながら大好きな趣味や仕事の話をしてくれたいずみさん。長年抱いてきた「経済的自立」という目標に一歩ずつ着実に近づき、昨年見事に達成! その原動力は、「変化を恐れずトライ&アップデートしたい」という強い挑戦心と柔軟な姿勢にありました。
もともとコミュニケーションに苦手意識があり、ネガティブ思考だったマインドが変わるきっかけになったのは、吉藤オリィさんのSNSで、分身ロボットカフェのパイロット(操縦者)募集の告知を偶然見かけたことでした。たまたまタイムラインに流れてきた内容を見た時、ビビ!っと、何か運命的なものを感じたんです。
1歳の誕生日を迎えるのは難しいと医師に告げられたI型SMAのやよいさん。
両親と大好きな料理に支えられて、20歳の誕生日を迎えました。
自宅のベッドで寝たきりで、言葉を発することができないので、
視線入力装置で会話します。
何事にも前向きで、好奇心旺盛なやよいさんが、料理人になりたい、と
自らの夢を口にしたのは中学生の時でした。
ゆるぎないその夢を信じることにした母のルリ子さんとの二人三脚がスタート。
ロボットアームを使って卵を割る、混ぜることに成功。
そして今、オムライスが名物の洋食店でOriHimeを使って接客の仕事にも取り組んでいます。
必ずオムライスを作る。
やよいさんのチャレンジをご覧ください。
自分の足で一度も歩いたことはないけれど、
3Dの世界で自在に駆け回るII型SMAの奏海(かなみ)さん(中学1年生)。
小さい頃から絵を描くのが大好きでした。
手の力が弱く、早くからパソコンに出会い、いまは自在に使いこなします。
3Dでの描画もあっという間に習得しました。
そんなかなみさんが挑戦したのは、分身ロボットOriHimeを操作して、
カフェで接客の就業体験をすること。
緊張もしたけれど、初めての経験にワクワクしたと語るかなみさん。
そのチャレンジをご覧ください。
SMAと診断され、車いすで生活する彩夏さん。10年後に立つことを目標に、親子でリハビリテーションに取り組んでいます。車いすは目立つけれど、「自分でできることは自分でやってみたい。特別扱いはしないでほしい」と話します。(詳細はビデオで)
「将来どうしよう、できることはあるだろうか」と不安を感じていたふみさん。分身ロボットOriHimeと出会い、一変しました。
OriHimeを使い、最もできない仕事と思っていた接客業ができたことから、「何でもできるかも」という希望に変わりました。(詳細はビデオで)
高校生の時から車いすに。最初は車いすが嫌いだった木明さん。今では、車いすは目立つと気が付き、車いすであることを武器に行政書士として働いています。「SMAだからこそできることがある、SMAが自分の根本を作ってくれた」と語ってくれました。(詳細はビデオで)
中学生の頃から「普通に授業を受けるのが難しいな」と思い、将来について、考えるようになった腹黒兎さん。「SMAは何もできなくなる病気ではない。子どもの頃から好きだった絵を描くことは、今の自分にもできること」と語ってくれました。(詳細はビデオで)
小さい頃から服が好きで、物心ついた時には「車いすだと着にくいなあ」「こういう服が作れたらいいのに」と思っていた樋口さん。
車いすの交流会で、車いすのファッションショーを見たときに嬉しくなり、車いすのモデルやファッションデザイナーの道へ。(詳細はビデオで)
13歳のとき身体に違和感をもったというサミュエルさん。自分は閉鎖的でなかなか言えなかったけれど、「何かおかしいかもしれない」と周囲に伝えてほしいと話します。「話すのを怖がらないで。君の持つ悩みの答えがあるかもしれない、力になってくれる人がそこにいます」(詳細はビデオで)
かかりつけ医は成長期で腱が筋肉を引っ張っていて、筋肉が萎縮しているのだと言いましたが、私はそんなはずはないと言いました。私がこの病気のことを知っていたら、もっと何度もドクターのところへ行っていたでしょう。親が、子供の機能低下に気づいたときには、何か対応すべきだと思います。待っていてはいけません。(詳細はビデオで)
20歳の時にⅢ型SMAと診断され、その後は患者団体の本部長や、NPO法人の代表理事など務めるなど、国内外で活躍する竹田さん。58歳で治療を決断しますが、側弯のために難しいと言われます。「治療を受ける、受けないは患者が決めること。まず選択肢を示してほしい」竹田さんの病気との向き合い方やメッセージには、その先に続く未来への希望や強い思いがあります。(詳細はビデオで)
SMAスーツを着て生まれてきただけで、SMAは私にとってあたりまえのこと。自ら立ち上げた「ぐるりの輪」を広げ、一度きりの人生、面白おかしく生きていきたい。(詳細はビデオで)
生まれたときからSMAを持っているので、健常者になりたいですか、と聞かれることに違和感があります。それは自分にとっては、あなたは馬になりたいですかと聞かれるのと同じことです。
名古屋の養護学校を卒業後、就職しようにも障がいが重く、受け入れてくれる会社がなかなかありませんでした。進路指導の先生が就職のお世話をしてくださったのですが、自分自身でご飯が食べられる、トイレへ行けるという状態であれば、話を聞いてもらえるのですが、私はそれすらできません。