笑顔の嫌いな親はいない

じゅなちゃんのお母さん
母親

 

じゅなちゃん(2歳)の母。じゅなちゃんが生後5か月でSMAと診断。
じゅなちゃんの5歳年上の兄とご主人と4人家族。Ⅰ型SMA。

身内だから先に異変に気付く

じゅなの異変に気付いたのは、生後数週間です。胎動がとても強い子で、生まれてすぐは手足があがっていましたが、ふと気付くと生後数週間で手足がだらんとしていました。1か月の乳幼児健診の前に確認した母子手帳に「裸にすると手足をよく動かしますか」という記入欄があり、それを見たときに他の子どもより動かす力が弱いことに初めて気付きました。医師や助産師に相談しましたが、そのときは異常はないと言われました。

そのうち、痰がからんだ症状が出たので受診しましたが、問題ないと言われ、その後の健診で初めて筋緊張低下と指摘されました。また、痰がからんで母乳が上手く飲めない、体重低下、尿の色が濃いという症状が出ました。こんなに親が気付いている「おかしい症状」にもかかわらず、通院での検査では血液検査もMRIも異常なしでした。それが生後5か月直前に脱水症状で入院となったとき、初めて「SMAの疑い」と告げられました。「疑い」をはっきりさせるためには遺伝学的検査が必要と言われ、そこで遺伝子欠損が判明してSMAと診断されました。

実は私の母もじゅなの異変に気付いていたのですが、私に伝えると不安がるのではないかとためらっていたそうです。医師でない私たちは、医師から言われることは盲目的に信じがちですが、親の勘も大事だと思いました。親が不安を抱えたまま納得できないと、後で後悔するのではないかと思います。

初めて聞いた病名への不安と決意―人工呼吸器を付けるということへの動揺

医師からは、治療法はなく1歳までに人工呼吸器を付けないと生きられないと告げられました。

私自身は以前から、仕事がら障がいを持つ子と接する機会が多かったため、どんな病気であってもどんな障がいであっても、普通に接すればいいと思っていたので、自分の子どもに対しても現状を受け入れて、普通に育てていこうと思いました。ただ主人は、病気の娘が今後どうなるのか、自分に育てていけるのか、不安が大きかったようです。

また、気管切開についても悩みました。親としては手術して長生きしてくれることが望みですが、それが本当に子どもにとって幸せか、延命を望むことは親のエゴではないかと2人で悩みました。 しかし、じゅなの笑顔を見ていると、この笑顔をずっと見続けたいとの思いが強く、「子どもを守れるのは親しかいない」と決断し、葛藤はあったものの、手術を受けることにしました。そして生後7か月で手術しました。
人工呼吸器を付けるということは、親にとっても本人にとってもさまざまな負担が増えます。しかし、手術せずに退院すれば、万が一のときにどうすればよいか、不安を抱えたまま生活を送ることになったと思うので、結果的には手術してよかったと思っています。

心の支えになった「家族の会」

当時は自分たちが得られる他の患者さんの情報が何もありませんでした。入院中は医師から伝えられる情報しかなかったのですが、半年間の入院期間中に「SMA(脊髄性筋萎縮症)家族の会」を知りました。当初なかなか入会に踏み出せなかったのですが、「家族の会に入ると近所に同病のお友達がいるのがわかるよ」と言われたのがきっかけで入会しました。入会すると先輩お母さんがすぐに会いにきてくれたり、会のメーリングリストにわからないことや不安なことを質問すると答えてくれたりしました。「気管切開したときの気持ち」を聞いたり、「バギーについて」や「呼吸器っ子の入浴方法」など病院では教えてくれることの少ない在宅での介護の方法などを聞いたりしました。同じことを感じている人たちから日常生活の過ごし方などを聞けるのが一番の心の支えになりました。家族の会の集まりに参加するだけでなく、家族の会を通して個人的につながれたご家族との交流も心の安らぎになります。

自宅療養での大変さ

じゅなの医療ケアは24時間365日休みなく続くので、家族だけで自宅で見るのは大変です。ですが、ケアマネージャーをはじめ、往診医や訪問看護師、訪問PT、ヘルパーなど、家族に寄り添って一緒にケアをサポートしてくれる方々に出会えたおかげで自宅での生活が成り立ちました。訪問看護・ヘルパーには、入浴介助や外出時の介助等、家族だけではできないことをサポートしてもらっています。また、手厚い往診のサービスを利用できているので、年1回の定期的な検査入院以外は病院に行かなくて済んでいます。また、自宅療養でつまずいたときにはみんなが一丸となって解決策を見つけてくれるのでありがたいです。
ただ、このようなさまざまなサポートなくしては生活できないのですが、訪問時間に合わせてその日のスケジュールをやりくりしたり、家族以外の人が生活のプライベートの部分に入ってきたりせざるを得ないのはいまだに慣れません。

じゅなも年齢を重ねるごとに症状が安定してきているので外出できる状態ですが、親が1人で外出させられないので大変です。住まいは2階なので機器が必要なじゅなを1階まで1人で連れて行くのは困難であり、誰かのサポートがないと外出できません。ヘルパーの利用は1か月前にスケジュールを出さなければならず、突発時の対応を期待するのは難しいため、頻繁に外出できないのが残念です。
じゅなの兄は妹をやさしく見守ってくれていますが、やはり兄に我慢させていることが多いので、兄のケアも大事だと思っています。
自宅療養は大変なことも多いですが、じゅなにとっても家族にとっても、家族みんなで自宅で過ごせることは何より心のケアにつながるし、幸せです。

将来の可能性は無限に

診断を受けたときは「命が尽きるのを待つ病気」と思いましたが、いまは、病気に関係なく、工夫次第で可能性は無限に広がると思っています。だから将来は好きなことをやってほしいし、そのためにも小さいうちからたくさんの経験をしてほしいと思っています。
この1年、外に出る機会が増え、いろいろな経験をすることができたのでじゅな自身大きく成長しました。また、じゅなを知ってくれる人が増えたので、行く先々で自然にサポートしてくれたり、さりげない気遣いをしてくれたりすることも増えました。

病気は大きなハードルになるとは思いますが、だからといって視野を狭く持つのではなく、何事にもあきらめずにいろいろなことに挑戦してほしいです。

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