「未来が楽しみ!」ゲーム制作からビジネス検定まで
|
1歳2カ月頃に脊髄性筋萎縮症(SMA)の確定診断を受ける。2018年、オリィ研究所が立ち上げた第1回分身ロボットカフェの「OriHime」パイロット(操縦者)に就任。以来、同社の活動に在宅ワークで参加。2019年には仲間と共に寝たきり視点のアドベンチャーゲーム『寝たきりな僕はアンドロイドの君と出会う』を制作するなど、活動や仕事の幅を広げている。
もともとコミュニケーションに苦手意識があり、ネガティブ思考だったマインドが変わるきっかけになったのは、吉藤オリィさんのSNSで、分身ロボットカフェのパイロット(操縦者)募集の告知を偶然見かけたことでした。たまたまタイムラインに流れてきた内容を見た時、ビビ!っと、何か運命的なものを感じたんです。
というのも、当時20代半ばになり、「自分はこのまま無職でいいのだろうか……」と、将来への不安と孤独に苛まれていました。障がい者専門の求人サイトに登録したものの、面談では「在宅ワークはほぼない」と即答され、意気消沈。働きたいという想いはあるものの、拒絶されるのが怖くて、応募するには至りませんでした。
パイロット募集は、ロボットを使って接客? 自宅から遠隔操作? 何だこれはと、脳内が「?」だらけでしたが、なぜかその時は「失敗しても死ぬわけじゃない。これやってみたい!」とすぐに応募し、パイロットになることができました。
人生初の仕事は、カフェでの接客。今思い出しても、冷や汗ダラダラでとにかく緊張しましたね。接客ってお客さんとどんなふうに、何を話せばええねん!って(笑)。会話がぎこちなくて、しょっちゅう変な間ができるし、当時は昼間に呼吸器をつけず自発で喋っていたので、すぐに疲れてしまって。それでも周りのスタッフや同僚たちが、「大丈夫!こうすればいいよ」と励ましてくれたり、「疲れたら休んでいいよ」と声をかけたりしてくれたので、とても働きやすく、ありがたかったですね。
以来、分身ロボットカフェには毎回参加していて、少しずつ接客に慣れていきました。ある時、帰り際にお客さまから「今日は話せて楽しかった〜また来るよ!」と言ってもらえたことがあり、本当にうれしかったですね。
働いて誰かの役に立てたという経験は、自分にとって大きなターニングポイントとなりました。さらに、これを機に同じ障がいのあるパイロット仲間や、サポートしてくれる方々とのつながりができたこともかけがえのない財産です。アニメやゲームなど共通の趣味を持つ仲間と出会い、一緒にオリジナルゲームをつくることに。企画、シナリオ、開発と、何もかも初めてのことだらけでしたが、仲間の協力のおかげで完成まで辿り着けました。寝る間も惜しんで夢中で取り組んだのは、身体には良くないけど、いい経験です。
また、昨年(2024)はパイロット仲間の同僚の勧めで、秘書検定とビジネス文書検定に挑戦しました。寝たきりの人が受験するのは初めてだったようで、しかも手書き必須の問題もあったため、事務局の方からは「あなたには難しいかも」と、一度断られました。それでも諦めきれず、視線入力で手書きにチャレンジすることに。ビジネス文書なので文字が多い上、難しい漢字の嵐! これを一画ずつ、視線を動かして線を書いていくんです。書き終えた時は、もう目がおかしくなるかと思いました(笑)。
今は、以前から興味があったプログラミングをあらためて勉強したいと思っています。AIが凄まじく進化しているので、それを活用してゆくゆくはエンジニアになれたら、在宅ワークでバリバリ働けるだろうし、その技術で私のような寝たきりの人でも作業や業務が楽になるシステムがつくれたらなあと。
昔は、限られた時間の中で色んなことをしようと無理をすることもありました。でも今は、テクノロジーの力で自分のできることが増えて、未来にワクワクするようになりました。これからどんなふうに社会が変わっていくのかを見てみたい! だからこそ、今は体調を崩さないよう無理をせず、ゆとりを持って仕事や趣味への挑戦を続けていきたいと思っています。
時折冗談を交えながら、軽やかな口調でご自身のこれまでの経験を語ってくれたマサさん。カフェでの接客、ゲーム制作、資格の取得など、持ち前の好奇心と驚きの根気強さを発揮し、自らの可能性を次々と広げています。
▼次回予告
次回、第2弾はデザインや広報のお仕事をはじめ、オリィ研究所でも働き始めたいずみさんのインタビューをお届けします!
1歳の誕生日を迎えるのは難しいと医師に告げられたI型SMAのやよいさん。
両親と大好きな料理に支えられて、20歳の誕生日を迎えました。
自宅のベッドで寝たきりで、言葉を発することができないので、
視線入力装置で会話します。
何事にも前向きで、好奇心旺盛なやよいさんが、料理人になりたい、と
自らの夢を口にしたのは中学生の時でした。
ゆるぎないその夢を信じることにした母のルリ子さんとの二人三脚がスタート。
ロボットアームを使って卵を割る、混ぜることに成功。
そして今、オムライスが名物の洋食店でOriHimeを使って接客の仕事にも取り組んでいます。
必ずオムライスを作る。
やよいさんのチャレンジをご覧ください。
自分の足で一度も歩いたことはないけれど、
3Dの世界で自在に駆け回るII型SMAの奏海(かなみ)さん(中学1年生)。
小さい頃から絵を描くのが大好きでした。
手の力が弱く、早くからパソコンに出会い、いまは自在に使いこなします。
3Dでの描画もあっという間に習得しました。
そんなかなみさんが挑戦したのは、分身ロボットOriHimeを操作して、
カフェで接客の就業体験をすること。
緊張もしたけれど、初めての経験にワクワクしたと語るかなみさん。
そのチャレンジをご覧ください。
「将来どうしよう、できることはあるだろうか」と不安を感じていたふみさん。分身ロボットOriHimeと出会い、一変しました。
OriHimeを使い、最もできない仕事と思っていた接客業ができたことから、「何でもできるかも」という希望に変わりました。(詳細はビデオで)
高校生の時から車いすに。最初は車いすが嫌いだった木明さん。今では、車いすは目立つと気が付き、車いすであることを武器に行政書士として働いています。「SMAだからこそできることがある、SMAが自分の根本を作ってくれた」と語ってくれました。(詳細はビデオで)
中学生の頃から「普通に授業を受けるのが難しいな」と思い、将来について、考えるようになった腹黒兎さん。「SMAは何もできなくなる病気ではない。子どもの頃から好きだった絵を描くことは、今の自分にもできること」と語ってくれました。(詳細はビデオで)
小さい頃から服が好きで、物心ついた時には「車いすだと着にくいなあ」「こういう服が作れたらいいのに」と思っていた樋口さん。
車いすの交流会で、車いすのファッションショーを見たときに嬉しくなり、車いすのモデルやファッションデザイナーの道へ。(詳細はビデオで)
20歳の時にⅢ型SMAと診断され、その後は患者団体の本部長や、NPO法人の代表理事など務めるなど、国内外で活躍する竹田さん。58歳で治療を決断しますが、側弯のために難しいと言われます。「治療を受ける、受けないは患者が決めること。まず選択肢を示してほしい」竹田さんの病気との向き合い方やメッセージには、その先に続く未来への希望や強い思いがあります。(詳細はビデオで)
名古屋の養護学校を卒業後、就職しようにも障がいが重く、受け入れてくれる会社がなかなかありませんでした。進路指導の先生が就職のお世話をしてくださったのですが、自分自身でご飯が食べられる、トイレへ行けるという状態であれば、話を聞いてもらえるのですが、私はそれすらできません。