「障がいがあっても働いて社会に貢献できる」――。やりたいことを諦めず、方法を模索して辿り着いた私の働き方

ふーちゃん
オリィ研究所勤務

 

2歳で脊髄性筋萎縮症(SMA)の確定診断を受ける。オリィ研究所の分身ロボットOriHimeパイロットには第1回から参加。現在は同社のパート社員として、広報業務をはじめ企業や学校での講演活動にも精力的に取り組む。月に3冊以上の本を読む読書家で、そこで体得した知識や文章力は業務にも生かされ、山陰中央新報デジタルでは連載「OriHimeとわたし」を執筆中。

人生の転機は、一人暮らしとOriHimeとの出会い

これまでに人生の大きな転機が2度ありました。一つ目は21歳で始めた一人暮らしです。

私は6歳から21歳まで15年間、障がい者施設に入所していました。入所当初の4年間は法律が改正される前だったので、体育館のような広いスペースに、約50人分のベッドがずらりと並び、ほぼ仕切りのない環境での生活でした。プライベートな空間がなかったり、職員さんの人手不足で介助してほしい時にすぐに対応してもらえなかったりと、ストレスや窮屈さを感じていました。

10代の頃までは「施設しか居場所がない」と思っていたのですが、20歳から障がい者年金が受け取れるようになったことで少しだけ金銭的に余裕ができ、次第に施設を退所して一人で暮らすことを考えるようになりました。先に一人暮らしを始めていた方から、「バリアフリーの家で、且つ、家賃が安いところを探すのは難しい」と聞いていたので、長い目で考えていたのですが、たまたま条件に合う物件に空きが出たので、またとないチャンスだと応募し、一人暮らしを始めることができました。

そんな新生活を始めた頃に、2度目の転機となる出来事が。オリィ研究所の代表・吉藤オリィさんと出会い、分身ロボットOriHimeと繋がったことでした。

「一緒に働きましょう!」――そのひと言から就業の道が拓いた

地元の大学で行われたシンポジウムに聴講者として参加した時、オリィさんが登壇されていて「これから分身ロボットOriHimeのカフェをつくる」という話を聴き、感銘を受けました。終了後にオリィさんと直接話すチャンスがあり、今の自分の状況や、仕事をしたくても就業中にヘルパーさんの利用ができず困っていることなどを相談したら、「カフェで一緒に働きましょう!」と言っていただきました。
それまでの就職活動は、とにかく断られるばかりだったので、受け入れてもらったその言葉が本当にうれしくて、涙が出るほど感動したのを覚えています。

初仕事はOriHimeパイロット(操縦士)としてカフェでの接客。自宅にいながらいろんなお客さまとお話ができ、パイロット同士やスタッフ間でも密にコミュニケーションを取りながらチームワークで働く環境は、障がい者、健常者の差を感じることがなく、すごく楽しかったですね。

その後はオリィ研究所のパート社員となり、ヘルプデスク業務を経て、今は広報としてプレスリリースの文章作成や配信、メディアからの取材対応などに携わっています。また、業務の延長線上で、障がい当事者として企業や学校で講演をすることも。会社から「これやってみない?」と、新しい業務の機会をもらえるのはありがたく、何でも挑戦したいと思っています。

障がいを感じることなく働き、学べる環境との出会い

2020年には、実験的な取り組みとして、沖縄にある英語とプログラミングを学ぶスクールに3カ月間 OriHimeを使い通学しました。英語でコミュニケーションを取ったり、実際にコードを書き出してWebサイトを作ったりと、密度の濃い時間でしたね。何よりも、同世代の友だちと一緒に授業に参加し、交流できたことは本当にうれしかったです。私が過去に通っていた特別支援学校では、基本的に先生と一対一の授業だったので、友だちがほとんどできませんでした。沖縄のスクールでは、みんなが飲み会やランチなどにもOriHimeを連れていってくれたので、一緒に楽しい時間を過ごせました。

これまでSMAと共に生きてきた中で、自分は社会の役に立てているのだろうか、異質な存在なのだろうかと、悩み、落ち込むこともありました。でも、OriHimeに出会い、仕事をする中で、いろんな経験や挑戦ができ、できないと諦めていたことができるようになったことがたくさんあります。「やりたいことは諦めず、方法を模索し工夫する」――。これを信条に、今の仕事や一人暮らしの生活を続けていきたい。そして、講演活動を通して重い障がいがあっても働いて社会に貢献できること、体が動かなくても希望があるんだと、世の中に広く伝えていきたいです。

5名のOriHimeパイロットのストーリーはいかがでしたでしょうか? SMAであっても諦めずチャレンジし、素敵な生き方を貫いている皆さん。もっともっと活躍されることを願います!

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