Spinal muscular atrophy Caregiver

ゆにさん

大学生

 

常にチャレンジ精神で

允翼(ゆに)さん、20歳。1歳10か月でSMAと確定診断。
県立高校から東京大学へ進学。哲学を専攻中。Ⅱ型SMA。

自分だけの生き方を見つけること

ゆにさん幼少期から、父母の基本スタンスとして、「自立/自律」しろと言われていて、それは体の障がいといった物理的な意味合いだけではなく、自分だけの生き方を見つけろということでした。例えば、小さいときからサッカーなどスポーツは好きでしたが、サッカー選手や野球選手になりたいと思ったことは一度もなく、それは自分の自由の中で、物理的にできないことを意識して、逆の発想で自分のできることを意識するような教育だったからです。基本的に親は私が外に出るときの介助などは絶対にせず、介助員やヘルパーの方にお願いしていました。そうすることで、自分の生き方を自分でつくっていけるような意識をつくってくれていました。

このように、私は幼少期から強い自意識を持つようになりましたが、そのきっかけをつくってくれたのがSMAです。いま自分がどういう問題を抱え、何を問題にするのか最初のきっかけをつくってくれるのです。例えば車いすに乗る意味は何かなど、立ち止まって考えるきっかけとなるわけです。人間は障がいがあるときに、初めて立ち止まることを知るのです。立ち止まらないと人間は考えられません。例えば、朝起きて顔を洗うときに、顔を洗おうと思って洗う人はあまりいないと思います。でも、なんらかの事情で顔が洗えなくなったときに、そこに顔を洗うという選択が生まれるわけです。

学校生活を振り返って

学校生活はずっと通常学級でしたが、小学校、中学校ではとても生きづらいと感じていました。でも、この「楽ではないな」という実感を小さいころに得ることがとても大切で、私の場合は通常学級に通うことで、世の中の厳しさを幼少期から体験しておいたことがとても大事だったと思います。
小学校、中学校では保育園のノリのままだったので、自分の精神がみんなの精神に追いついていませんでした。保育園、幼稚園の子どもは障がい者に対して残酷と思われることを言ったりしますが、一緒に生活すると、何か気兼ねのない関係ができてきます。でも小学校、中学校になると、障がい者に対してああいうことを言ってはいけない、こういうことをやってはいけないというような道徳的な忖度が始まり、そういう忖度が必要な人間とわざわざ関わる必要はなく、ほうっておこうとなるのだと思います。いじめられたことはなかったですが、なにか居場所がないと感じていました。高校生くらいになると、それが逆転して、自分はそれまでいろいろな経験をしてきているので、人間とはなんだ、人生とはなんだなどと考える面倒くさい人間になってしまい、小中学生のときとは逆のギャップができて、なんとなく表面的な人間関係はつくれますが、満足がいく関係ではなかったですね。

充実している大学生活

大学生活は、話せる友人がいて、人生で一番充実しています。授業は大体1日2つ受けています。それ以外に自分がかかわっているサークル活動の1つに「障がい者のリアルに迫る東大ゼミ」があります。これが少し変わっていて、例えば触法障がい者を招いて、その人のいろいろな面に光を当て、本当のリアルを探そう、同時に自分のリアルも探そうというものです。ここで政治やメディアの方々にも会っており、社会人の友人も増えましたね。

これから社会に何を望むか

障がい者、健常者問わずに、世の中には何も考えないで適当に決めることが多すぎると思います。本来は、当事者と支える人、周りにいる人が問題に対して話すことを通じて解決を図るべきだと思います。それが「忖度」を越えていくことで、そういうことを繰り返し行うことにより得られる結果こそが目指すべき社会の一部となるのではないかと思います。

挑戦で結果が変わる

言ってみるとか、やってみるのは1つの挑戦です。人は自分で考えて勝手に自己解決してそれで終わりということが多いですが、それでは絶対現状の課題解決にはつながりません。私の言う挑戦とは、それほど大それた意味合いではなく、とりあえずはやってみようと。何か言ったりやったりすれば、少なくともいまと変わりますよね。そういう中に、もしかしたら、自分が望んでいるものがあるかもしれません。今日という日をちゃんと楽しく生きたいじゃないですか。例えば、下北沢の雑踏を歩いているときに、車いすで入れるちょっといいお店を見つけて、今度行ってみようとか、そんなことです。そういうことがあるだけで、その日1日楽しくなるじゃない?そういうことが挑戦で冒険です。

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